エッセイ:エイジング話【2026年2月】

他と比較する

 作品を展示していると何処かで見たようなと言われることがあります。展覧会へ来られた人は、これまで観た作品群の記憶をたどる習性があるようです。
 多くの作品を観ている人ほどこの傾向を強く感じます。どうしても、これまで見たモノと比較して仕舞い勝ちなのでしょう。比較すると何処が違うのかへ視点が進みます。
 ここの回路へ陥ると、モノ自体を鑑賞することから遠ざかるような気がします。もっと言うと、せっかくの作品から受ける感動から離れ細部の技巧へ目がゆきます。
 年を重ねた筆者は、モノへの感動が少なくなりました。もの心がついて50年も経てば止むを得ない面はありますが、同じようなモノをたくさん見て生きたからでしょう。ただ作った側からすれば、見る人を驚かせてやろう!感動させてやろう!少なくとも既に存在するモノと一線を画したいところです。せっかく展覧会へ出向かれたなら、1対1で作品と対峙して貰いたいと、えらそうに言います。
 ここのところは、専門家と呼ばれる人が陥り易いところでもあると感じます。事故が起こった時、ニュース番組キャスターは、その筋の専門家に対し同じような事故が在ったかどうかを尋ねます。
 そうすると、専門家は過去の経験から「何処かで見たような」を一瞬のうちに探しコメントされるんではないかと思います。一方で、何処かで見たような事故探索は、その筋の専門家よりもAIさんが得意な範疇でしょう。
なぜなら、蓄積されたデータ群からモノを見付けるには、人の記憶容量をAIさんが超えたからです。ところがデータ群が増えたことと、人が感動を受け幸せに生きることは、別問題だと思います。もう容量が一杯だから、忘れられることから感動は生まれる方を感じる年頃になりました。

 

 

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